思い出の中の海

宇宙船から見た地球

 

 僕の家から、海はそれほど遠くない。何だったら自転車を飛ばして数十分もすれば見にいける距離だけど、だからといって別に頻繁に目にするようなこともない。水平線を見ているとどうしたって地球は丸いんだなと思わずにはいられない。海の広大さ、なんていう陳腐な言葉を発する必要なんてないのだろうけれど、実際に目にしたら思ってしまうから仕方がない。

 写真や動画で見る海も好きだが、それがすべてではない。快適な部屋のなかで享受できる感覚なんてたかが知れている。実際に空気感や手触りを通して、僕たちは景色というものを記憶のなかに大切にしまい込んでいる。それを時々思い出してどんな気持ちになるのかは、その人の人生次第であるが……。

 心打たれる景色といえば色々あるが、世界中の人が目にする海はどこでだって同じ「おおきなみずたまり」の一部であるという、他にない特徴が僕の心をひきつけてやまない。地球の70%が海に覆われているなんて普段は意識しないけれど、実際に目の当たりにすると「確かになぁ」とちゃんと思えるから不思議である。わざわざ宇宙船に乗って窓からのぞき込まなくても理解できる。

 

和歌山の白浜

 

 子供のころの記憶で一番印象に残っている海の景色は、和歌山の白浜だ。日本のパンダの総本山、アドベンチャーワールドに連れていってもらって、そのついでに海辺にも寄ってくれた。兄と二人で砂浜を歩き、その景色の広さに驚いた。とっても綺麗な貝殻を見つけて、それをポケットに入れて持って帰って家に飾っていたので、その巻貝の抜け殻を見るたびにあの海の景色を思い出した。

 あのときの僕たち兄弟はとても仲が良くて、もちろんけんかもしたけれど、いたって平和的な関係性を築けていた。僕は兄のことを慕っていたし、なにより2歳離れている分とても大きく見えていた。

 だけど僕が中学生になってから、すべてがめちゃくちゃになった。誰が悪いのかといえば、明らかに僕が悪い。言い訳をすると、精神的にまだ成長していなかった僕が引き起こしてしまったトラブルのひとつなんだと思う。今もまだまだだけど、当時は特に感情というものに支配されやすい傾向にあって、兄と口を利かない日々が永遠と続いている。

 

 そう、今でも。

 

 あれから十数年間、僕は兄とほとんど口をきいていない。電話番号もLINEも知らないし、今どんな仕事をしているのかも知らないし、どこに住んでいるかも知らない。兄が大学進学のために他県に移り住んだとき、僕は母に「彼についての情報の一切を伝えないでくれ」と頼んだからだ。

 別に今では怒りも悲しみも湧いてこないが、それと同時に慕う感情もどこを探しても見当たらない。彼女にこの兄との関係性を話してみたらとても驚かれて、何故歩み寄ろうとしないのかと怒られた。確かにその通りだと思う。でも、なぜそれをしないのか僕も分からないのだから、この問題は冷凍庫の奥の奥にひっそりと隠されているべきではなかろうか。どうだろう……。

 和歌山の海で拾った貝殻は大分長い間リビングに飾られていたけれど、気づかない間にそれはなくなっていた。兄との思い出の貝殻。まだ仲が良かった頃を象徴している気がしてならなかったその貝殻はもうどこにもない。僕が貝殻を探そうと試みる日は来るのだろうか。

 

車窓の海

 大学生の頃、僕は初めてお葬式というものを経験した。父方のおじいちゃんが亡くなった。生前は毎年、お盆と正月に顔を合わせて、小学生の頃だとおじいちゃんに連れられてバッティングセンターもある多少大きな複合施設で楽しい時間を過ごしていた。鯉が泳がされている釣り堀で渡された練り餌の臭いは今でも覚えている。

 そんな楽しい思い出を共有していたおじいちゃんが亡くなったというのだから、僕にはとてもショッキングだった。ただ、80歳を超えていて、最後の方は加速度的に老いていくおじいちゃんを知っていたから、茫然自失とまではいかず、漠然と人は本当に死ぬんだなと客観的に考えていた自分もいた。

 亡くなる1年前には認知症が相当進んでいて、施設で見たおじいちゃんは全く別人のようだった。こんな言い方はよくないんだろうけれど、施設の雰囲気はどよんとしていて逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。今思うとこの時の方がよっぽど僕は動揺していた。目の前に座っても視線が合わない落ちくぼんだ両目からは終わりの気配しか感じられなかった。

 

 訃報を聞いて、僕と母はおじいちゃんのもとに急いだ。兄は他県にいて、父も単身赴任の身だった。僕は大学の講義をほっぽり出して家に帰って、母と最寄り駅に向かった。電車にゆられながら、特に何かを話すでもなく着々と目的地に近づいていく。車窓からはビルやアスファルトが消えていき、どんどん田舎っぽさが増していく。当時スマホを持っていなかった母は、どの駅で降りたらいいか調べてほしいと僕に尋ねてきた。普段は盆や正月の父が帰ってきたタイミングで車で行っていたから、僕も全く分からなかった。

 おそらくここが近いだろうと検索した結果を母に伝えた頃、電車の窓からは海が見えた。陽光が水面をキラキラと反射させていて、その時の僕にはとても幻影的に見えた。普段この電車で通勤・通学する人たちからすれば当たり前の景色だろう。夕暮れというにはまだ早かった。当たり前じゃない状況の僕の目がとらえたその景色は、とても特別なもののように思えてしまった。

 父も急遽戻ってきて、翌日葬儀が執り行われた。冠婚葬祭の初めてが「葬」だなんて少し嫌だったけど、そんなものどうしようもない。湯灌(ゆかん)というものも初めて目にして、葬式ってこんな感じなんだなと漠然に思いもした。ちなみに焼香の回数を間違えたことは今でも忘れられないでいる。ただ、やっぱり僕の中であの車窓の海が一連の出来事の象徴として記憶に残っているのは何故だろうか。

 

Osaka Bay from Osaka

 

 大学を卒業して、ピカピカの新社会人として頑張れたのは、せいぜい半年だった。普通の生活を送っている人は、その「普通」であることの素晴らしさに気づかない。手からこぼれ落ちたコップの水がつくるアスファルトの黒い染みを、ひどく恨めしそうに睨んでからでは手遅れである。こんな僕が言うと自己肯定にしか聞こえないけれど、一度転んで擦り傷(あるいは回復に時間を要する深手?)を負ったからといって、それで人生「BAD END」ではない。大切なのは向上心ではなかろうか。

 ただ、傷は傷で、痛いものは痛い。あのときにああすれば、なんて後悔を繰り返す無為な時間を過ごす馬鹿らしさに気づきながらも、そうせずにはいられないのである。何もかも合理的に自分の思い描いた予測線の通りに物事を推し進められる人はとても素晴らしいと思う。そして、僕にはそれが出来なかったという話なのであるが。

 それ以来、人と比較するという癖が出来た。大学の友達や、彼女や、ネットに転がっている経験談が、その比較対象になった。その度に相対的にどれだけ劣った人間なのかを意識して、劣等感で押しつぶされそうになる。今でもこういう思考の迷路に閉じ込められることはあるが、できるだけ目を伏せて気づかないふりをするしかないのがつらいところだ。

 

 正社員を辞める直前に、彼女と海に行った。8月中旬で夏真っ盛りの猛暑だった。気温も湿度も高く、Tシャツが汗で濡れてとても不快だったのを覚えている。泳いでもいい場所だったけれど、別に2人ともそんなつもりはなくて、ただ夏らしいことの一つとして海に行っただけだった。

 当時まだ大学生だった彼女が、サンダルを脱いで足を海に濡らす。僕は最初それを見ているだけだった。彼女は立派なところから内定をもらっていた。それとは対照的に僕は希望をもって入った企業に、その希望を置いて出て行く決断を済ませていた。景色が広くて、遠くの方には霞んだ市街地が見えた。大阪湾は確かに湾曲していた。

 彼女に誘われて僕も靴を脱いで海水に足を浸す。泳ぐわけではないけれど、海に入るなんていつぶりだろうか。足の指を通り抜ける小さな砂の粒と海水がくすぐったい。近くには海藻が漂っていて、手に取ってみると当たり前だが普段みそ汁に入っている奴とは雰囲気が違った。水温は太陽光にさらされているせいか、それほど低くはなくて、心地よかった。そこには彼女と海と僕という、手触りのある確かなものだけが存在しているというシンプルな事実があった。

 

思い出の中の海

 

 海に限った話ではないけれど、自然が自己主張をしてくることなんてないし、押しつけがましいことを言ってくるなんてことはない。いつだって人間がそれを勝手に見て、勝手に解釈しているだけである。海を見ているようで実は、僕たちは僕たち自身の内面に向き合っているんだと思う。そこに意図や道筋なんてないからこそ、その広大な景色を前に十人十色の切り取り方をしているのだろう。

 僕の思い出の中の海は、その当時の心境というものを強く反映させている。海辺に住んでいればまた違ったかもしれないけれど、人生の節目節目で再開するあの景色には何かを思わずにはいられない。海にはそんな力がある。

 

休みの日に、埃をかぶったギターで歌う僕

友達も、先輩も、僕も、みんな同じ「大学生」

 

 もちろん人にもよると思うけれど、僕にとっての大学はあまりにも暇に感じて、時間を持て余している感があった。1年生の春学期はバイトその他のことにうつつを抜かしていて、いくつかの単位を落としてしまったが、これに懲りて以来単位を落とすことはなくなって、割かし良い点数ももらえていた。だが、生活のすべての時間を使う必要は全くなくて、自由時間にあふれていた。

 自由というのはとてもいいように聞こえるが、実はとても怖いことだったりする。自分を律して時間を有意義に使うことの難しさに、僕は大学生になって初めて知った。友達のなかには勉強なんてほっぽり出して、そもそも大学で会うこともなくなったようなタイプもいる。試験が近づいてようやく喫煙所で彼と顔を合わせると、「さすがにまずいな」と笑っていて、何故だかそれを誇らしく思っている様子でもあった。

 別に誰が何をしていようと僕には関係が無くて、僕が彼に不真面目であるという印象を持つことはあっても、それを咎めたり説教したりする権利はない。大学生はもっと勉強するべきだと主張する人がいるけれど、こういった不真面目な彼らがいる一方で、一生懸命に勉強(あるいは研究)に没頭している勤勉な人たちを僕は知っている。一人の先輩は成績優秀者のリストに名前が載っていて、将来は大学で研究を続けたいと意気込でいた。ただ、残念ながら教員のポストには限りがあって、その背景のコネやら何やらを恨みながら就職するしかなかったようである。先輩が大学生活の多くの時間を研究に費やしていた姿を見て、「自分とは違うタイプの、尊敬すべき学生の姿だな」としみじみ思っていた。

 

村上龍ダスティン・ホフマンラウンドワン

 

 何をしようかと考えたとき、最初は読書に真剣に向き合ってみることにした。最近では本を買う頻度がめっきり落ちてしまったが、大学の頃は今まで読んだことのなかった興味のある作家の小説をずらっと買ってみたり、気になるタイトルの新書もそれなりに手にしてみた。村上春樹村上龍をものすごく好きになったのはこの時期で、最近でいえば『コインロッカー・ベイビーズ』を読み返して「やっぱりすげーわ」なんて思ったりして、あの時の出会いにとても感謝している。

 映画もそれなりに見た。もちろん映画館でも観ていたが数はそれほどではなくて、むしろレンタルビデオ店で毎週のように映画数本を借りてパソコンで再生することの方が多かった。久しぶりに映画館でも映画を観たいななんて思って足を運ぶと、巨大なスクリーンと圧倒的な音響に感動してしまうくらいには、その頻度は低かった。レンタルビデオ店で借りたなかでの特に印象的な出会いは、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」に大まかに分類される作品群であろう。「卒業」は数回借りたし、「タクシー・ドライバ」や「真夜中のカウボーイ」なんてのは、果たして僕に理解できている部分は何割なんだろうと思わせるような深みのある作品だった。ただ、この話を出来る友達は全くいなかった。

 大学生なんだから「らしい」こともしたいと思って、何となくダーツを始めてみたけれど、その割にはめちゃくちゃはまった。昼過ぎにラウンドワンに行って、21時くらいまで一人で黙々と投げ続けたこともあった。ドリンクバー付きだったので致死量かともいえる量の砂糖をコーラで摂取して、時々休みながら音楽を聴きながらネットサーフィンをしている時間は、僕にとってはとても大学生らしいことをしていると思えた。彼女も誘ってどうでもいい話をしながらするのも楽しかったが、それと同じくらい孤独のダーツも好きだった。

 

アマゾン・プライム/本棚/ギター

 

 今、僕が人に自慢できる趣味なんて一つもないけれど、だからといって全くないわけでもない。今はレンタルビデオ店に行くことはなくなったが、その代わりにアマゾン・プライムに入ったり、大学生のころ読んだ本をもう一度読んでみたりもしている。ただ、ダーツには全く行かなくなった。他にもお遊びで買ったアコギやエレキをたまに弾いて面白がったり、そういうちょっとした趣味みたいなものに囲まれているから、別に自分のことを無趣味な人間だとは思っていない。少なくともそう思うことで精神を保っているのかもしれない。

 世の中には休日のほとんどすべてを趣味に投げうって、プライベートをとても充実させている人がいる。釣り、スポーツ観戦、はたまたスポーツ自体、音楽。僕の父がそういうタイプで、物心つく頃には既に写真に没頭していた。今でも小学生の運動会で撮った写真やそのフィルムが残っていて、大量の写真が入った段ボールを見ると、僕は「息子」というよりも「被写体」として、趣味の延長線上として撮られていたのかななんて嫌なことを考えてしまう。僕からすれば子供に優しさを投げかけない父の姿を嫌ってもいたが、今こうして大人になって振り替えってみると不器用な人だったのかなと慮ることは、多少はできる。

 誰かを否定することは好きではないから、自分自身の感覚でいえば、ちょっとした趣味をいつまでも続けていけたらなと思っている。昨今ミニマリストという生活スタイルがちょっとした流行(あるいは思想)として話題に上がることが多いが、僕はその逆だろう。物を捨てられない性格で、本棚の背表紙を見ていい気持ちになったり、フィギュアを机に並べてにんまりしたりする。時々はっと思い出したようにギターを取り出したり、「コインロッカー・ベイビーズ」を手にしたり、そういう時間が僕にとっての楽しみの全部なのであるから、僕は生涯ミニマリストになることはないだろう。

 

 趣味はあるに越したことはないけれど、別に「やらなくちゃいけない」みたいな強迫観念を持つ必要もない。そして趣味についてこうあるべき、みたいな押しつけがましいこともしたくない。有意義な時間にするべきだという気持ちは忘れないで、気の向くまま、風の吹くまま心地よい方へ流されていきたい。仕事ではないのだから。

 

 

僕と谷口さんと、「人生オワタの大冒険」の話

僕はジャニーズには入れない

 

 おこがましい話だけれど、僕たちは誰かと関わるときに、自然と色々な指標でその人を推し量っている。パワプロのように完璧に数値として現れるわけではないけれど、意図せずとも「○○さんは△△な人だ」みたいな印象をそれぞれがそれぞれに持っている。ちなみに、好きの反対は無関心なんてよく言うけれど、無関心というのは意識の範囲外の、描画範囲内のモブキャラのような存在に対して抱く感情だから、その説は非常に的を射ている。

 そして誰かがぐるっと鉛筆で引いた意識の範囲内に入ってしまった僕たちは、その人によって何かしらの評価の「ラベル」が張られている。鏡で見た自分の背中にそのラベルは一枚も張られていないようであるが、これは紛れもない事実だろう。かっこいい、かわいい、やさしい、面白い。ブサイク、怖い、つまらない。もちろん他人の評価というものを気にしてばっかりでは精神を病んでしまうけれど、そのすべてを無視するというのはあまりにも無理な話である。

 僕は周りの人からどう思われているのか、時々気になって仕方がないことがある。自転車に乗りながら鼻歌を歌っていたらすぐ後ろに追走する人の姿を見て恥ずかしくなってペダルを全力で漕ぐ、みたいなそういう経験だけにとどまらず、何気ない会話ややり取りの中で突然そのことが頭の中を支配する経験は少なくない人にあると思う。

 

 外見で人を判断することは最も手っ取り早くて、だからこそ厄介な部分でもある。別に容姿についてだけではなく、身だしなみや立ち振る舞いだけで僕たちはその人に対して第一印象としての評価を下す。『人は見た目が9割』なんて新書を昔読んだが、ただの著者の感想に終わらない興味深い内容だったのでオススメしたい。

 僕含め、世の中の多くの人はジャニーズに入れないし、つんく♂秋元康に「君、いいね」とは声を掛けられない人たちばかりなのは周知の事実である。だからこそ選ばれた彼ら彼女らに「価値」がある。そして、そんな選ばれなかった僕たちが出来ることと言えば、服装などの身だしなみを調えるのに加えて、「優しいね」と言われることを目標に生きていく選択肢が提示されている。僕はこの選択肢を強烈に支持していて、もちろん時として人間臭い直球の感情に支配されることもあるが、意識して日常生活のなかで実践しようとしている。

 裏を返せば「あいつは嫌な奴だよね」と思われたくないと誰しもが思うということだろう。もちろん好むと好まざるとに関わらず、仕事上「嫌われ役」を引き受けなければいけないという損な役回りにため息を吐く人もいる。少なくとも最適解は果たしてどこにあるのかと悩むとき、最初からわざわざ茨の道を通ることを考える人は少数派で、だからこそ彼らが改革派として手腕を発揮するんだとも思う。ただ、僕にはあまりにも荷が重くて、どうしたって「優しさ」の一手に舵を切るしかない。その過程でも多少の切り傷を体の至る所に作ることはままあるが、致命傷にはならないというのが何より僕を安心させる。

 

僕と谷口さんと、「人生オワタの大冒険」の話

 

 小学6年生の頃、出席番号が僕の一つ後ろの女の子がいじめられていた。出席番号は名前順で、例えば僕が「田中」だとすると、彼女は「谷口」みたいな並びだったので、便宜上の仮称として彼女を谷口さんだとする。谷口さんは正直に言うと可愛くはなかった。かなり目が悪かったみたいで、対面すると眼鏡の端が輪郭をかなり歪ませていたのが少し気になった。僕は中学からびっくりするぐらい視力が低下して眼鏡になり、大学3年生でコンタクトデビューをした。ただ、当時は「レンズで輪郭歪んでんなー」なんて無礼なことを考えてしまっていた。

 いじめられていた、といってもボコボコにされたり、持ち物を盗まれたみたいな過激なものではなくて、ある日を境にクラスの女の子たちと会話をしなくなってしまったのだ。谷口さんに「いじめられているの?」なんてわざわざ聞くような馬鹿な真似はしなかったけれど、少なくとも彼女が誰かと親しげに話している姿を見かけなくなったのは事実だった。気になって彼女のことを目の端で追っかけてみても、休み時間も学校が終わってからも、彼女はひとりぼっちだった。

 僕は広く浅く友達を作りたいタイプだったので、とにかくクラスのいろんな人とコミニュケーションを取っていた。無理にはしなかったが、女の子たちとも時折話していて、僕の「おしゃべりリスト」には男女関係なく多くの名前があった。ただ、そのなかに谷口さんの名前は入っていなかった。あんまり自分から積極的に話すタイプではなかったようで、僕もそれを尊重してわざわざ言葉を投げかけることをしなかった。そもそも性別が違う、というのがやっぱり理由として大きいだろう。

 

 ただ、僕は誰とも話さない谷口さんの姿を見て、心を痛めないわけにはいかなかった。本当のところ、彼女にわざわざ話しかけて、他の女の子からそのことを指摘されるのが怖かった。もしかしたらいじめられてない可能性もあったけれど、とにかく何かしらの火種になりうるだろうということは明らかだった。僕はマザー・テレサではない。美しく清い、言い換えると「裏の無い」慈愛の精神は今でも残念ながら手にしていない。だから僕は、自分の身の安全を確保しながら、何かできることはないだろうかと模索した。

 別に放っておくこともできた。クラスのみんながしているように、何も感知しない、興味がない、という姿勢でいわば意識の外に追いやることは簡単にできた。だけど、谷口さんが僕の意識に入り込んだとき、彼女の置かれている状況や心情をくみ取る他なかった。だから、僕はこっそり話しかけることにした。

 クラスは時折席替えが行われていたのでずかずかと近づいて話すことはできなかったが、移動教室では名前順で並ばされることが常だったので、僕の隣にはいつも谷口さんがいた。初めて僕が彼女の話し掛けたのは、確か「情報」みたいな授業で、パソコンに向き合っているときだった。別になんてことはない話題で、フィルタリング(有害だと判定したサイトを自動的にはじく機能)の範囲内で楽しめるサイトを彼女に色々見せて、「これ面白いよ」と小声で伝えて、「人生オワタの大冒険」をプレイしてみせた。ちなみに今はAdobe Flash Playerがサービス終了したので遊ぶことはできない。

 

 谷口さんはかなり真面目な人だった。宿題や持ち物を忘れたところは見たことがないし、勉強もできる方だった。だけど、僕が話しかけたら、はっとした顔をして彼女も先生の目を盗んで同じようにそのサイトを開いてくれた。ただ、僕の画面にもう一方の隣の奴が気づいて、そいつが周りに「人生オワタの大冒険」を言いふらして、クラス中に一大ムーブメントを起こしてしまった。結局先生にばれてしまって二度としないようにとの注意がなされたことはお察しのとおりである。

 それからというもの、移動教室で小声で話す仲になった。多分だけど彼女も自分の立場を理解していて、僕に迷惑が掛からないように(考えすぎだろうか)小声で他愛もない話をした。小学校6年生だったので卒業式の練習みたいなのがあったけれど、パイプ椅子に座ってずっと話しかけられていたのを覚えている。流石に先生に怒られたくなかったので、あまり会話に乗り気になれなかったが、彼女はしきりに僕に話し掛けてきた。そんな関係は卒業するまで続いた。

 

優しさのオールを手に

 

 時々僕は谷口さんのことを思い出す。彼女のことが一人の女の子として好きだったわけではないが、話しているうちに面白い子だなぁなんて思って、僕も結構楽しかった。クラスの教室ではほとんど話すことはなかったけれど、僕のこの行為が完璧な解答だったとは言えないにせよ、部分的に彼女にとっての救いになっていたとするならこんなにうれしいことはない。

 なぜ僕は人に優しくありたいのか。それは多くの部分で自分にとって不都合がなくなるように、人間関係を良好なものにするためだったりする。それはどこまでも打算的でただの策略としか呼べない、恥ずべき行動だろう。人にどう評価されているのか、というのを気にするのは他人の気持ちを推し量っているように見えて、結局は自分自身のことについて考えているだけに過ぎない。

 ただ、時として僕の心の奥深くの、原初の優しさ(XSサイズ)が訴えかけてくることがある。見捨てられない、見過ごせない。自分の打算的な部分と本能的な確信が時としてバチバチにぶつかり合って心の中に一種の葛藤を生み出す。損得ではなくて、優しさというオールを手に、小舟を漕ぐ人生でありたい。

 

劣等感を片手に、「人並み」を求める話

同級生の就職先は勝ち組

 

 大学4年生の秋頃、高校の友達と集まる機会があった。確かコートを着ていたので、冬もかなり近かったと思う。正直あまり行く気にはなれなかったが、多分今日を逃すと今後一生会うことはないんだろうなと思って、意を決して参加した。

 就職先は誰も知らない業界の名前も聞かない企業だったので、みんなに言うのが憚られた。同じように高校を卒業した、同じ100メートル走をよーいどんで走った仲間たちと、これほどの差が開いていたのかという事実を知ることの恐怖は計り知れなかった。とりあえずコンビニで煙草を吸って、心を落ち着かせてから、集合時間ピッタリに目的地についた。

 話はやっぱり、それぞれがどこで働くかの話になった。僕も名前を知っているような大手に就職して、しばらくは東京で働かなくちゃいけないとか、既にちょっと前に起業して、色々大変だけど頑張っているだとか、そういった話をニコニコしながら聞くほかなかった。「○○は?」と聞かれたとき、ぎくりと背筋が凍った。僕は……。

 あーそうなんだ、みたいな相槌で流されて、僕の話で盛り上がる気なんてみんなになかった。別に彼らを憎んではいない。むしろ、僕に気を使って、深堀りすることに躊躇したんだと思う。多分、僕は笑ってなかったから。

 

 劣等感。

 

 人と比べて見劣りするんだと、そう自分を評価する状態。世の中には一般的な理想像があって、だから「大手」なんて言葉があるわけだし、勝ち組・負け組みたいな判断を下す審判を心の中に飼っている。僕は自分のやりたいことを見つけられず、色々と悶々とした日々を過ごしていたが、そんな僕でもやっぱり理想像に縛られていた。

 より詳細に言えば、自分の姿を見たとき「ああ、こいつは負け組だ」と思ってるんだろうな、なんて被害妄想をしている状態だろう。別に思っているとか思ってないとかは関係なくて、被害妄想は複雑な操作なんて必要なくオートマ車のようにアクセルを踏めばとっとと加速する。ちなみに僕は「AT限」で免許を取ったが、それについては劣等感は持っていない。はい。

 僕は、このときは「この劣等感はまやかしだ」と自分に言い聞かせることにした。隣の芝は青い、隣の花は赤い、同級生の就職先は勝ち組。常に人は自分以外のものをうらやましがったりする、そんな心の作用によって事実を事実以上に凄みをもって解釈することがある。例えば同い年の有名人と自分を比べたりして、これほどに違うものかとわざわざ見に行って嘆く必要はないのだ。

 

タイムマシンがあったなら

 

 就職先を半年で辞めてフリーターになることを、学生時代の自分が知ったら鼻で笑うだろう。アニメでよくあるけれど、「やっぱりあれは夢だったんだ!」と飛び起きて、それが事実なんだと確認してゲロを吐きそうになることが今でもある。考えないようにしても、深層心理で自分自身を酷評して蔑んでいるんだろう。ただ、この人生を選択した以上、この枠内で向上心を持って物事に取り組んでいかなくちゃいけない。

 タバコを吸っている時間は嫌なことを考える癖があるから、どうしてもスマホを持たざるを得ない。別に全く見る必要もない芸能人のゴシップやらスポーツ情報のネットニュースを、タバコを吸いながら読む癖がついたのはいつからだろうか。寝る前はとにかくひどくて、意図的に楽しい思い出や最近読んでいる本や見終わった映画の世界観に意識をもっていかないと嫌なことばかり考えてしまう。

 何が悪かったのか。例えば家庭環境が複雑でどうしてもその道を選ばなくちゃいけない人もいる。不遇な環境で最初から選択肢を与えられていない人がいることを僕は知っている。しかし僕の場合は、ただ単に自分自身の行動によってこうなったに他ならない。

 

 自業自得

 

 母に少し愚痴をこぼしたら「就活をちゃんとやっていたら今悩んではなかっただろうね」なんて言われて、本当に感情がグチャグチャになった。事実は時として人の心をえぐってどうしようもない傷を残すことがある。その日は涙が止まらなくなって、どうしようもないから夜道を数時間散歩して気持ちが落ち着くころに家に戻った。

 何が原因かを考えることはとても大切なことで、人は間違いに陥っても反省して次に生かすことができる生き物である。ただ、その事実があまりにも冷酷で直視するにはある程度の勇気を必要とする場合、その作業は困難を要する。人によっては僕とは対照的に淡々と事実を受け止めて、楽観的に上昇志向に持っていける場合がある。

 何がその作業の邪魔をするのかというと、大きな劣等感がそうさせている。なんて馬鹿な真似をしたんだと分かっていながらも、その劣等感と膝を交えて反省できる人にはなれなかった。多分だけど、僕はプライドが高いんだと思う。もうそれは起こったことなのに、「まさか自分に限って……」みたいなアホの発想を事後にですら出来ちゃうタワケだ。

 

エネルギー:劣等感

 

 誰しも夢があると思う。お金持ちになりたいとか、幸せな家庭を築きたいとか、もちろん全員が全員おしなべてこの理想を掲げる必要なんて全くないんだけれど、ポピュラーなものであればこれらが挙げられる。他にはシンガーソングライターとして有名になりたいとか、何かしらの世界大会で優勝したいとか、人々の欲望は至る所に渦巻いている。

 学生時代から夢の無い僕は、フリーターになってようやく一つの夢を手に入れることが出来た。普通の生活を普通に過ごしたい。たったこれだけのことを今の僕は出来ていない。別にフリーターで満足している人のことを馬鹿にしているわけではなくて、彼らは彼らなりの夢があって、それが叶っているのであれば別に問題はない。ただ、僕の周りのフリーターが現状に満足していない場合が多いのも事実だ。正社員になれないとか、就活がうまくいっていないとか、そういった悩みをぽろっと聞くと僕も同じように悲しい顔をしてしまう。

 正社員として毎日残業する彼女の話は、僕に無数の切り傷を作る。大変だね。つらいね。そういった言葉は、僕が持つ「真っすぐ」の言葉ではない。一度つばを飲み込んで、その上で優しさをわざわざ手で掬って差し出す必要がある。僕はフリーターで、彼女は正社員なんだ、といちいち思うこんな自分は相当ひねくれちゃったんだろうな。

 

 日々の暮らしの中で、目をつぶっている事実の中に劣等感を感じ取る要素がある。夜、バイト終わりの電車で見かけるスーツ姿の彼らや、今でも時折会う同級生の話の中にそれがある。僕は時々、その事実を直視して、気持ちのほとんどすべてを劣等感で満たす作業をしている。恥ずかしい、悔しい、悲しい。そんな感情をもって自分に負荷を与えて、それを向上心に変えるためである。

 モチベーションなんてものを当てにして何かをするのはあまりにも危険すぎる。今日はやる気がわかないな、なんて投げやりになって物事に取り組まないでいることはあまりにも簡単である。楽しい方へ、楽な方へ、人はそちらへ流される性質を持つ。これをやらずには眠れない、くらいの習慣になるまでやるべきことを昇華させれば、それは思いのほか楽だったりする。

 一方で、時としてモチベーションが強力な推進力になることも知っている。それが僕の場合には現状への不満足感、つまり劣等感だった。劣等感は焦燥感に、焦燥感はモチベーションになり、僕が今取り組んでいることにもっと真剣に向き合わせてくれる。

 

 人並み以下の僕が、人並みと言えるまで這い上がれるのは、いつの日になるのだろうか。

 

みんなが良いと言うものを、僕も良いと思うこと

祭りに行けなかった僕たち

 

 小学生の頃、家からほど近い神社で祭りがあるというものだから、クラスメイト達はこぞって大集合していた。休み時間に「明日は何時に集まる?」なんて会話が聞こえてきて、実に楽しそうだったのがうらめしかった。僕は中学受験のために放課後は塾に行く必要があった。親にやんわり「祭りがあるんだって……」と伝えたけれど「塾はどうするの?」とサッと却下された。

 神社自体はそもそもそんなに大きくない。別に名の知れた場所でもなかったし、境内の敷地面積もたかが知れていた。しかし、大切なのは祭りの良し悪しではなくて、自分だけ楽しみを共有できない「仲間外れ感」にやきもきしていたのだ。

 塾で机に向かっているときも「ああ、今頃はみんな楽んでんだろうな」なんて考えたりして、少し不貞腐れてもいた。一方で中学受験は親から強制されたものではないというのも、僕の心を複雑にさせた。友達に「○○君は来るの?」と聞かれて「ああ、塾なんだよね」と答えるときに、悲しみと同じ量の愉悦に浸っていたのは事実だ。クラスで中学受験をするのが数人しかいなくて、その馬鹿げた愉悦に時々感情をかき乱された。

 

 大した祭りではなかったけれど、僕はそのことをずっと心残りに思っていて、何があっても絶対に行くんだという決心をした。親にも熱意を伝えて、来年はなんとか神社に行くことが出来た。

 お金を少し貰って、てくてく神社に向かう。おのずと早歩きになって、神社が見える頃には小走りになっていた。そこにはいつもの友達がいて、僕もその輪に入った。初めて祭りの光景を見たけれど、本当に大したことはなかった。欲しいと思えるものなんて一つもなかったけれど、妥協してねりあめを買った。割られていない割りばしにぐにゃんと物体を付けられて、それをそのまま舐めてたら友達に「混ぜないと」と注意されたような気がする。たったこれだけの会話で楽しかった。

 その後は拝殿をぐるりと一周するきもだめしが行われた。僕は木陰でねりあめを食べながら、誰かが来るたびに「ワッ!」と驚かせる役回りだった。驚かせる方はめちゃくちゃつまんないということを小学生の感性から思うしかなかった。

 

 翌日は、彼らと祭りの話で盛り上がって、思い出を共有してさらに楽しかった。ただ、その中には昨日来ていなかった友達もいて、僕は彼の目がとても気になって仕方がなかった。会話に参加できない困惑と落胆の目は、そっくりそのまま去年の自分だった。みんなが祭りに行っていて、自分だけが行けていない。この事実が彼の心を揺さぶっている。

 

iPhone VS Android の陰で

 

 高校生にもなるとみんながスマホを持っていて、ガラケーを含めた携帯電話を持っていない人なんてクラスに1人もいやしなかった。今でこそAndroidの地位は向上しているが、日本人総出でiPhoneを所持していた時代が懐かしい。少数派のAndroidは小ばかにされていた。そしてどちらもが学生総出でパズドラに時間を浪費していた。昼休みにパズドラをしている奴がいると、後ろのドアから教師がこっそりやって来て、放課後までスマホを没収されるという光景がよく見られた。そして、僕はそれすらうらやましく思っていた。

 僕はというと、中学3年生になってようやくガラケーを買ってもらって、その状態が高校1年生まで続いていた。周りで楽しそうにワイワイパズドラをしているのを横目に、僕はついてない時代に生まれちゃったな、なんて思った。スティーブ・ジョブスはとんでもないものを創りだしてしまったのだ。

 ラインの普及も著しかった。僕は参加していなかったけれどクラスのグループラインがあって、試験前には情報交換のためによく動いていたようだ。だが、僕がそれを知れるのは仲のいい友達からの情報だけだった。気を使ってくれてわざわざ話してくれたけれど、それがいちいち心苦しかった。今、僕がインターネットを全肯定できないでいる原因はここにあるんだと思う。まやかしの繋がり、というのはあまりにも安直な言葉だけれど、今こうしてスマホをもって多くのやり取りをしている現状におかれても、実際に会って話すことの大切さを強く意識している。

 

 ただ、やっぱり僕の知らないところで、みんなが着々と仲良くなっているような気がしてならなかった。たかが高校生、別に大した話なんてしている訳なんてないんだけれど、「大した話」じゃないからこそ僕たちはゲラゲラ笑えたり、記憶に残ったりする。親に直談判して「このままだと僕はいじめられる」なんて嘘をでっちあげて、しぶしぶスマホを買ってもらった。ガラケーの時も同じ作戦を取ったのだけれど、今回も無事成功した。

 ショッピングモールに出店しているケータイショップに親と行って、クソ低スペック激安スマホを買ってもらって僕は死ぬほど舞い上がった。車での帰り道の間にも写真を撮りまくった。その写真は残念ながらスマホがぶっ壊れたと同時に失われたが、今でもどんな写真だったか覚えている。立体駐車場から降りてきて、車内で早速スマホをいじり倒して、料金を精算する機械のあたりで試しに撮ってみた。カメラは質が終わっていて、あまりにもビビットな前の車のブレーキランプが目をつんざくような写真に仕上がった。

 スマホを買ったと高校2年生になってみんなに言いふらすのも恥ずかしかったから、気心の知れた友達にこそっと教えて、ラインを交換して新しいクラスのグループラインに入った。今あるかどうか分からないが、「フルフル」みたいな全く使われない友達追加のやり方をあえてやってみて、全然うまくいかなくて面白がっていた。何か自分も仲間に入れたような、そんな気がしてならなかった。

 

 あれから数年を経て、スマホの普及というのは日本社会の隅々まで行き届いた。たまに電車でガラケーをポチポチしている人を見ると、その物珍しさに見入ってしまうくらいだ。当時の僕はそのガラケーを心の底から憎んでいた。本当に気心を許した数人にしかガラケーのことは話していなかったくらいだった。僕は同調圧力みたいなものに囚われやすいタイプの人間なのだと思う。

 

みんなが良いと言うものを、僕も良いと思うこと

 

 流行というものは常に、人々の「乗り遅れてはならない」という欲求によって作られる。テレビで特集されたものであったり、今だとSNSでバズった「あの商品」というものがそうだろう。東京に旅行に行ったとき、めちゃくちゃ長い行列が出来ていてびっくりしたことがある。その先にはいったい何があるんだと野次馬根性でわざわざ先頭まで確認しにいったが、全く知らないお店だった。

 よく、それは本当にあなたが欲しいものなのかと警告する人がいる。みんなが良いと言っているから買うのか。確かに本当に価値のあるものはあなた自身が判断するべきだ、という主張も間違いではないと思う。個人的にネットに書き込まれた映画のレビューはどれも辛口で、実際に見てみたら面白かったなんてことはよくある。自分で実際に確かめてみて物の良し悪しを判断することの大切さは間違いなくある。

 みんなと同じものを体験して、同じような感想を口々に言い合うことは、自分が大衆のなかの一人であることを主張していることなのだろう。過激派に言わせればメディアに操作されているのかもしれない。

 

 僕はというとそんなことはどうでもよくて、おいしいものを食べたいし、楽しい時間を過ごしたいだけである。そして隣にいる人と「やっぱりいいね」なんて笑いたい。わざわざ逆張りする必要なんて一つもない。僕たちはどんなに裏にもぐりこんだとしても、みんな同じ人間であることには変わりなくて、だからこそみんなが良いと言っているものを自分も同じように良いと思うことの方が多いのではなかろうか。

 もちろん、話題になって実際に体験してみて、肌に合わないということももちろんあると思う。祭りに行きたくて仕方がなかったけど、実際行ってみたらそんなに大したことはなかった、みたいなことは当然ある。だが、宝くじも買わなきゃ当たらない。そんな経験も含めて多くの人と感想を共有するためには、まずはやってみなくちゃ分からない。

 右にならえの姿勢は当然批判されるだろうが、僕は別にスイーツ評論家でもなければ、ワイドショーの辛口コメンテーターでもない。自分で多くの中からわざわざ価値を見出すよりも、ただ流れてくる情報の方がむしろ信ぴょう性が高い。

 

 みんなが良いと思うものを、実際に体験してみて、僕も良いものだと思える人生も賢い選択肢ではなかろうか。

 

一万円札から逃げようよ

ポケットの中には

 

 数年前の僕はほとんどの支払いを現金で行っていた。もちろんクレジットカードを使ってアマゾンで散財することもあったが、スーパー、コンビニ、ユニクロのどの支払いなどのほとんどすべてを現金で行っていた。ただ、僕はできるだけ一万円札を財布に入れないようにしていた。

 一万円札というものは「円」という通貨の最高額という存在でしかないが、あのうすっぺらい紙のもつ威厳は今でも感じるものがある。

 

 10,000円札

 

 なんでもやれそうな気がする。カラオケでご飯をめちゃくちゃ食べてもそんなにはいかない。ユニクロで全身揃えることが出来る。ただ、凱旋は無理だ。でも、マイジャグラーⅢには座れる。ハチャメチャはできないけれど、十分楽しい思いが出来る金額だと思う。もちろん人にもよるが。

 僕は親から定期的な小遣いをもらってはいなかったが、友達と遊びに行く前にせびって5,000円くらい渡してもらっていた。もちろんすべてを使っていいわけではなくて、余った分は返却を要求された。高校生のときの話である。

 大学生になってしばらくしてからバイトをするようになって、なんとなくだけどお金の価値を理解した途端、「クソ!もったいねぇ!」と後悔することが多くなった。何人かで居酒屋に入って、終る頃に「それじゃあ一人○千円ね~」なんて言われたりすると、それを時給で割り算してため息を吐いていた。酒も大して飲めないし、ご飯もあんまり食べない僕って、この中で一番損してるよな、なんてみみっちい発想をして、その度に器の小さい人間になったなと自分を笑った。

 

世はまさに、大電子決済時代……

 

 そういった経験をいくつも経て、徐々に一万円札という物体にバイアスがかかって、福沢諭吉が「なんでもできんだからな、オレがいりゃ」とにやりと笑ってくるような気がしてきた。だから口座からお金をおろすときは9,000円を上限として引き出していた。財布にできるだけ1万円札を入れたくなかったのだ。この話を彼女にしたときに、すべて千円札にしてもらう裏テク(?)を知らないのかと馬鹿にされ、びっくりしすぎて言葉が出なくなったその瞬間まで、この意味不明な引き出し方は続いた。

 しかし、その頃には電子決済ブームとでもいうような、PayPayを筆頭にした数々の決済方法が乱立し、世はまさに大電子決済時代を迎えていた。少し興味をもってやってみようかとも思ったけれど、面倒くささが勝ってしばらくは現金での生活を続けていた。

 ところが色々の事情も絡みあいながら、僕はPayPayを使い始めることとなる。僕自身の口からはあまり言いたくないのだけれど、ヒントその1「パチ屋では現金しか使えない」から何かを感じ取っていただきたい。

 

 電子決済を使い始めると、その便利さのとりこになってしまって、僕の財布にあの三傑の姿を見ることはなくなった。何ならレジでお釣りを少なくするために小銭入れをごちゃごちゃしている人を見ると「君もPayPay使おうぜ~」と肩を組んでニコっと笑う、ということはもちろんできないが、そうしたい気持ちで溢れてくるようになった。

 お店の入り口にあの赤と白のステッカーが張ってあるとテンションが上がったり、旅行先でキャンペーンをしているのに気づかなくて、会計時にたまげるくらいのポイントが付与されている(正確には付与されるのは1月後)ことに気づいて舞い上がったりすることもある。

 

 残高:10,000円

 

 スマホの画面で見るゼロ4つは僕に何の気持ちも抱かせなかった。口座からPayPay内の残高を増やす仕組みなので、別に財布に入っているとかそういう感情にすらならない。預金残高を分母とした10,000という分子であって、何かを想起させる雰囲気はそこにはない。支払いの時に実際のお金を触らないので、価値に対する尺度が変化していることにも気づいた。だからといってハチャメチャに使いすぎてしまうものでもなくて、毎月少しずつではあるが貯金も増えている。

 

おばあちゃんの10万円

 

 大学を卒業するときに、父方のおばあちゃんが僕にお祝いだといってお金をくれた。本当のことをいうと、僕はあんまり嬉しくなかった。むしろ悲しい気持ちになった。帰りの車のなかで母が「いくら入ってたの?」と聞いてきた。母の名誉のためにあえて言うが、べつに彼女はやましさや卑しさのために言ったのではない。むしろその逆で、おばあちゃんに対して気を使っているのである。

 僕は白い封筒をそっと、開いた。というか受け取ったその瞬間にその厚みに気づいてはいた。

 

一万円札が10枚入っていた。

 

 人にこんな金額をもらったことは未だかつてなかった。僕の心は申し訳なさでいっぱいになって、なげやりに母に返答した。僕は人から10万円をボンッともらっても素直に「よっしゃー!」と喜べる人間ではなかった。お得意の「割り算」でお金の価値を推し量って、悲しい気持ちにもなった。僕はこのお金を受け取るに足ることをしたのか?

 その10万円でスーツを2着買った。確か寸法してもらって、オーダーメイドで作ってもらったものだったと思う。後日商品を受け取って改めて袖を通してみると、おばあちゃんに対する感謝の念がひしひしとにじんできた。スーツを買いました。これから社会人として頑張るね。電話でそう伝えると「頑張ってね」と返してくれて、笑顔で涙ぐんだ。

 

お金がお金として存在する恐怖から逃げよう

 

 お金の価値は場面や状況によって大きく異なる。給料として口座に振り込まれたり、大好きな人から手渡しでもらったり。電子決済を使い始めて気づいたが、お金をお金として意識しないで、自分にとって一番有意義かつ納得できる使い道に流れていくときに大きな喜びを感じるんだと思う。

 諭吉が10枚集まるとめちゃくちゃ怖いことをおばあちゃんから学んだ。現金というものは僕を狂わせる。現金を店員に手渡す場合だと「俺はこんだけ使ってやったぜ」みたいな変な満足感に陥って、買い物を手段としてではなく目的として見てしまうことはないだろうか。

 

 お金が喜びの尺度になってはならない。お札や硬貨というのは人間の手によって、目に見えない価値を無理やり具現化した幻に過ぎない。以上が僕から伝えられる教訓である。

「おい、おっさん」と言える正義感に困惑した話

 夜、コンビニに向かう。

 

 パジャマの上に分厚いコートを着て、自転車をかっ飛ばす。おおよそ数分で近所のコンビニについて、とりあえずセブンスターをくわえて火をつける。隣には同じようにしてタバコを吸っているスーツ姿の男がいた。なんてことはない、何の争いもない平和な光景だった。この後に降りかかる不幸(?)な出来事のことなど全く予期せずに……。

 

 コーラと缶コーヒーを手にレジに並ぶ。僕の前にはレジ前で公共料金の支払いをしている女性と、その少し後ろでじっと待っている「にーちゃん」がいた。彼は陰気な僕とは対照的に、服装や立ち姿からもやんちゃな印象を受けた。そして、この話の主役は彼である。

 にーちゃんは前の人の支払いが長引くとみたか、列を離れてお菓子コーナーあたりの商品の物色を始めた。僕は少し、どきっとした。彼はこの後、僕の前に戻るのか、後ろに戻るのかが気がかりだったのだ。常に争いというものは避けるべきであるだろう。僕は彼が開けたスペースを残したまま、その場に立ち止まることを選択した。ただ単に思考を放棄したともいえるが。

 しかし、この不安は僕が臆病にも深読みしすぎていただけだった。にーちゃんは戻ってきて何のためらいもなく僕の後ろに改めて並び直した。見た目だけで人を判断してはいけないなぁと反省もしたくらいだった。

 

 そして、満を持して「おっさん」の登場である。

 その「おっさんは」僕よりも2まわりくらいは年上であった。おそらく僕の人生で仲良くなることはないタイプの「陽」の波動を発していた。第一印象はいかつい肉体派とでも言おうか。

 レジに並ぶ僕たちの姿はおっさんの目には入らなかったようで、一目散にレジに向かっている。勘弁してくれ……。何かを言いかけた僕の口は「あ」の形で固まってしまって、再び思考を放棄してしまった。

 

 僕は悪くない

 

 悪いのはこのおっさんだ。僕は悪くない、僕は悪くない……。あと手際の悪いレジのオーナー(じいさん)が、あと少し早ければ何の問題も起こらなかったのに。自然とため息が出た。

 長らくカウンターに張り付いていた女性が、支払いを終えて出口に向かう。そして入れ替わるようにおっさんが番号を口にする。煙草だけ買いに来たのだ。アメスピの黄色いやつだった。大学生の頃、友達にアメスピをもらったけど、アカマル、セブンスター、ラキストと比べても異色だったなぁなんて考えると、僕の脇をにーちゃんが通り過ぎて行った。そう、通り過ぎて行った

 

「おい、おっさん。俺ら並んでるんだけど」

「ああ……」

 

 この感情ってなんだろう。悔しい、恥ずかしい、情けない、逃げ出したい、運が悪い、みたいな感情をそれぞれ大さじ何杯ずつか入れて出来上がるもので、すっきりした言葉で言い表すことが出来ない。ただ確実に言えることとして、怒りの感情はこれっぽっちもなかった。

 おっさんはそそくさ列の後ろに回って、にーちゃんは僕を見て「どうぞっ!」とレジを手で指した。「サァセェェェン」みたいな情けない声を出して、アメスピの黄色いやつを手に頭にはてなマークを浮かべたオーナーに対面した。僕は申し訳なく思っている雰囲気を演出しながら、セブンスターの番号を口にした。

 

 店を後にして自転車に乗っているとき、やっぱりあのとき目の前にいた僕こそが「すみません、並んでるんですよ」というべきだったのだろうと後悔した。ひいては列に並ぶということへの覚悟の足りなさを痛感した。ただ生きているだけで数多くの難題に対面しなければならない不条理さを嘆く前に、にーちゃんのような正義感を身に着けるべきなのだろう。

 だが、やっぱり僕はそんな振る舞いはできない。僕は主人公じゃない。ルフィにはなれない!その一方で、たった一人僕だけが並んでいるのであれば、いつまでも待ってやるぞという覚悟は誰よりもある。徳川家康にも驚かれるくらいには待てる。たとえ100人の「おっさん」に割込まれても何の文句も言わないでいられる自信がある。

 

黙って見てただけなのに

 

 家でレジ袋をくしゃくしゃさせながら商品を机の上に並べる。コーラ、缶コーヒー、煙草。そして釈然としない気持ちまでも持って帰ってきてしまった。この話に完全な悪意というものは存在しない。おっさんも別に列を無視してまでとっとと会計を済ませたかったわけでもないと思う。

 ああ、そういうことか。おっさんに悪意が無かったのであれば、最も罪深いのは僕であることに気づいた。しかし今後同じような状況に陥ったとしても、どうせまた同じ轍を踏むに決まっている。つまり日和見な諦観にではなく、それを生み出した僕自身の「スタンス」そのものに罪があるのだ。

 

 争いを避けたいという気持ちこそが争いを生むという、なんとも馬鹿げた話の顛末は以上である。あまりに非教育的な物語であり、スピンオフにもならない脇役として存在する僕の自己紹介でしかない。この罪に対する罰を受け続けながら死ぬことの虚しさを理解してほしかったのだ。