「おい、おっさん」と言える正義感に困惑した話

 夜、コンビニに向かう。

 

 パジャマの上に分厚いコートを着て、自転車をかっ飛ばす。おおよそ数分で近所のコンビニについて、とりあえずセブンスターをくわえて火をつける。隣には同じようにしてタバコを吸っているスーツ姿の男がいた。なんてことはない、何の争いもない平和な光景だった。この後に降りかかる不幸(?)な出来事のことなど全く予期せずに……。

 

 コーラと缶コーヒーを手にレジに並ぶ。僕の前にはレジ前で公共料金の支払いをしている女性と、その少し後ろでじっと待っている「にーちゃん」がいた。彼は陰気な僕とは対照的に、服装や立ち姿からもやんちゃな印象を受けた。そして、この話の主役は彼である。

 にーちゃんは前の人の支払いが長引くとみたか、列を離れてお菓子コーナーあたりの商品の物色を始めた。僕は少し、どきっとした。彼はこの後、僕の前に戻るのか、後ろに戻るのかが気がかりだったのだ。常に争いというものは避けるべきであるだろう。僕は彼が開けたスペースを残したまま、その場に立ち止まることを選択した。ただ単に思考を放棄したともいえるが。

 しかし、この不安は僕が臆病にも深読みしすぎていただけだった。にーちゃんは戻ってきて何のためらいもなく僕の後ろに改めて並び直した。見た目だけで人を判断してはいけないなぁと反省もしたくらいだった。

 

 そして、満を持して「おっさん」の登場である。

 その「おっさんは」僕よりも2まわりくらいは年上であった。おそらく僕の人生で仲良くなることはないタイプの「陽」の波動を発していた。第一印象はいかつい肉体派とでも言おうか。

 レジに並ぶ僕たちの姿はおっさんの目には入らなかったようで、一目散にレジに向かっている。勘弁してくれ……。何かを言いかけた僕の口は「あ」の形で固まってしまって、再び思考を放棄してしまった。

 

 僕は悪くない

 

 悪いのはこのおっさんだ。僕は悪くない、僕は悪くない……。あと手際の悪いレジのオーナー(じいさん)が、あと少し早ければ何の問題も起こらなかったのに。自然とため息が出た。

 長らくカウンターに張り付いていた女性が、支払いを終えて出口に向かう。そして入れ替わるようにおっさんが番号を口にする。煙草だけ買いに来たのだ。アメスピの黄色いやつだった。大学生の頃、友達にアメスピをもらったけど、アカマル、セブンスター、ラキストと比べても異色だったなぁなんて考えると、僕の脇をにーちゃんが通り過ぎて行った。そう、通り過ぎて行った

 

「おい、おっさん。俺ら並んでるんだけど」

「ああ……」

 

 この感情ってなんだろう。悔しい、恥ずかしい、情けない、逃げ出したい、運が悪い、みたいな感情をそれぞれ大さじ何杯ずつか入れて出来上がるもので、すっきりした言葉で言い表すことが出来ない。ただ確実に言えることとして、怒りの感情はこれっぽっちもなかった。

 おっさんはそそくさ列の後ろに回って、にーちゃんは僕を見て「どうぞっ!」とレジを手で指した。「サァセェェェン」みたいな情けない声を出して、アメスピの黄色いやつを手に頭にはてなマークを浮かべたオーナーに対面した。僕は申し訳なく思っている雰囲気を演出しながら、セブンスターの番号を口にした。

 

 店を後にして自転車に乗っているとき、やっぱりあのとき目の前にいた僕こそが「すみません、並んでるんですよ」というべきだったのだろうと後悔した。ひいては列に並ぶということへの覚悟の足りなさを痛感した。ただ生きているだけで数多くの難題に対面しなければならない不条理さを嘆く前に、にーちゃんのような正義感を身に着けるべきなのだろう。

 だが、やっぱり僕はそんな振る舞いはできない。僕は主人公じゃない。ルフィにはなれない!その一方で、たった一人僕だけが並んでいるのであれば、いつまでも待ってやるぞという覚悟は誰よりもある。徳川家康にも驚かれるくらいには待てる。たとえ100人の「おっさん」に割込まれても何の文句も言わないでいられる自信がある。

 

黙って見てただけなのに

 

 家でレジ袋をくしゃくしゃさせながら商品を机の上に並べる。コーラ、缶コーヒー、煙草。そして釈然としない気持ちまでも持って帰ってきてしまった。この話に完全な悪意というものは存在しない。おっさんも別に列を無視してまでとっとと会計を済ませたかったわけでもないと思う。

 ああ、そういうことか。おっさんに悪意が無かったのであれば、最も罪深いのは僕であることに気づいた。しかし今後同じような状況に陥ったとしても、どうせまた同じ轍を踏むに決まっている。つまり日和見な諦観にではなく、それを生み出した僕自身の「スタンス」そのものに罪があるのだ。

 

 争いを避けたいという気持ちこそが争いを生むという、なんとも馬鹿げた話の顛末は以上である。あまりに非教育的な物語であり、スピンオフにもならない脇役として存在する僕の自己紹介でしかない。この罪に対する罰を受け続けながら死ぬことの虚しさを理解してほしかったのだ。