休みの日に、埃をかぶったギターで歌う僕

友達も、先輩も、僕も、みんな同じ「大学生」

 

 もちろん人にもよると思うけれど、僕にとっての大学はあまりにも暇に感じて、時間を持て余している感があった。1年生の春学期はバイトその他のことにうつつを抜かしていて、いくつかの単位を落としてしまったが、これに懲りて以来単位を落とすことはなくなって、割かし良い点数ももらえていた。だが、生活のすべての時間を使う必要は全くなくて、自由時間にあふれていた。

 自由というのはとてもいいように聞こえるが、実はとても怖いことだったりする。自分を律して時間を有意義に使うことの難しさに、僕は大学生になって初めて知った。友達のなかには勉強なんてほっぽり出して、そもそも大学で会うこともなくなったようなタイプもいる。試験が近づいてようやく喫煙所で彼と顔を合わせると、「さすがにまずいな」と笑っていて、何故だかそれを誇らしく思っている様子でもあった。

 別に誰が何をしていようと僕には関係が無くて、僕が彼に不真面目であるという印象を持つことはあっても、それを咎めたり説教したりする権利はない。大学生はもっと勉強するべきだと主張する人がいるけれど、こういった不真面目な彼らがいる一方で、一生懸命に勉強(あるいは研究)に没頭している勤勉な人たちを僕は知っている。一人の先輩は成績優秀者のリストに名前が載っていて、将来は大学で研究を続けたいと意気込でいた。ただ、残念ながら教員のポストには限りがあって、その背景のコネやら何やらを恨みながら就職するしかなかったようである。先輩が大学生活の多くの時間を研究に費やしていた姿を見て、「自分とは違うタイプの、尊敬すべき学生の姿だな」としみじみ思っていた。

 

村上龍ダスティン・ホフマンラウンドワン

 

 何をしようかと考えたとき、最初は読書に真剣に向き合ってみることにした。最近では本を買う頻度がめっきり落ちてしまったが、大学の頃は今まで読んだことのなかった興味のある作家の小説をずらっと買ってみたり、気になるタイトルの新書もそれなりに手にしてみた。村上春樹村上龍をものすごく好きになったのはこの時期で、最近でいえば『コインロッカー・ベイビーズ』を読み返して「やっぱりすげーわ」なんて思ったりして、あの時の出会いにとても感謝している。

 映画もそれなりに見た。もちろん映画館でも観ていたが数はそれほどではなくて、むしろレンタルビデオ店で毎週のように映画数本を借りてパソコンで再生することの方が多かった。久しぶりに映画館でも映画を観たいななんて思って足を運ぶと、巨大なスクリーンと圧倒的な音響に感動してしまうくらいには、その頻度は低かった。レンタルビデオ店で借りたなかでの特に印象的な出会いは、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」に大まかに分類される作品群であろう。「卒業」は数回借りたし、「タクシー・ドライバ」や「真夜中のカウボーイ」なんてのは、果たして僕に理解できている部分は何割なんだろうと思わせるような深みのある作品だった。ただ、この話を出来る友達は全くいなかった。

 大学生なんだから「らしい」こともしたいと思って、何となくダーツを始めてみたけれど、その割にはめちゃくちゃはまった。昼過ぎにラウンドワンに行って、21時くらいまで一人で黙々と投げ続けたこともあった。ドリンクバー付きだったので致死量かともいえる量の砂糖をコーラで摂取して、時々休みながら音楽を聴きながらネットサーフィンをしている時間は、僕にとってはとても大学生らしいことをしていると思えた。彼女も誘ってどうでもいい話をしながらするのも楽しかったが、それと同じくらい孤独のダーツも好きだった。

 

アマゾン・プライム/本棚/ギター

 

 今、僕が人に自慢できる趣味なんて一つもないけれど、だからといって全くないわけでもない。今はレンタルビデオ店に行くことはなくなったが、その代わりにアマゾン・プライムに入ったり、大学生のころ読んだ本をもう一度読んでみたりもしている。ただ、ダーツには全く行かなくなった。他にもお遊びで買ったアコギやエレキをたまに弾いて面白がったり、そういうちょっとした趣味みたいなものに囲まれているから、別に自分のことを無趣味な人間だとは思っていない。少なくともそう思うことで精神を保っているのかもしれない。

 世の中には休日のほとんどすべてを趣味に投げうって、プライベートをとても充実させている人がいる。釣り、スポーツ観戦、はたまたスポーツ自体、音楽。僕の父がそういうタイプで、物心つく頃には既に写真に没頭していた。今でも小学生の運動会で撮った写真やそのフィルムが残っていて、大量の写真が入った段ボールを見ると、僕は「息子」というよりも「被写体」として、趣味の延長線上として撮られていたのかななんて嫌なことを考えてしまう。僕からすれば子供に優しさを投げかけない父の姿を嫌ってもいたが、今こうして大人になって振り替えってみると不器用な人だったのかなと慮ることは、多少はできる。

 誰かを否定することは好きではないから、自分自身の感覚でいえば、ちょっとした趣味をいつまでも続けていけたらなと思っている。昨今ミニマリストという生活スタイルがちょっとした流行(あるいは思想)として話題に上がることが多いが、僕はその逆だろう。物を捨てられない性格で、本棚の背表紙を見ていい気持ちになったり、フィギュアを机に並べてにんまりしたりする。時々はっと思い出したようにギターを取り出したり、「コインロッカー・ベイビーズ」を手にしたり、そういう時間が僕にとっての楽しみの全部なのであるから、僕は生涯ミニマリストになることはないだろう。

 

 趣味はあるに越したことはないけれど、別に「やらなくちゃいけない」みたいな強迫観念を持つ必要もない。そして趣味についてこうあるべき、みたいな押しつけがましいこともしたくない。有意義な時間にするべきだという気持ちは忘れないで、気の向くまま、風の吹くまま心地よい方へ流されていきたい。仕事ではないのだから。