「僕」は君から見れば「君」

おしゃれは足元から

 

 フリーターになって半年経過してから、一度就活をした。大学の頃の就活とは打って変わって同学年が横一列に取り組むものではなく、また新卒1年目で早速辞めた「すかたん」は僕しかいなかった。半年前に毎日袖を通していたスーツをもう一度引っ張り出してきて、その日は明日の企業との面接に備えて早めに寝ることにした。

 だが、午前中に予約を入れていたにもかかわらず、太陽が昇るまでに眠ることはできなかった。おおよそ1時間くらいの睡眠で目覚まし時計とスマホのアラームが同時になる。調子はすこぶる悪い。別に緊張して眠れなかったわけではない。遅番としてシフトに入っていたので、生活サイクル的にどうしても眠ることが出来なかったのだ。また昔から睡眠については数多くの問題を抱えていて、今まで一度も目が覚めることなく朝を迎えたことはない。頻尿ぎみなのもそれに拍車をかけていて、どうしたって質が下がる。

 眠たい目をこすりながらコーヒーを飲み干して、12月の気温に文句を言いながらスーツに着替える。久しぶりにネクタイを締めると、うれしい気持ちと悲しい気持ちをそれぞれ大さじ一杯ずつ味わうことが出来た。ギリギリに到着するのは性分ではないので、かなり余裕をもったタイムスケージュールを組んでいた。冷たい廊下を歩いて玄関にいき、革靴を捜す。観音開きの靴だなを開けて、上から下までくまなく見た。

 

革靴が無かった。

 

 どこをどう見たって僕の革靴はなかった。ただあるのは僕の薄汚れたコンバースだけで、あとは父と母のものであった。この悲しい事実を後ろにいた母に伝えるとと、彼女は呆れて父の靴を履いていけとアドバイスをくれた。靴を買うにはあまりにも早すぎたし、流石に僕のタイムスケージュールも「ショッピング」を差し込む時間的余裕は持ち合わせていなかった。

 致し方なし。おそらく昔に買って以来、履かれた形跡のほとんど無い革靴を箱から取り出し、祈るように足を入れた。しかし、それは僕の足にとっては一回り小さくて、小指たちが「タスケテー」と小さい悲鳴を上げるくらいには無理があった。だけど、コンバースを履いていくわけにはいかない。僕の目の前には2つの選択肢があった。このまま小さい革靴を履いていくか、スーツを脱ぎ捨ててベッドに横になるか。後者の選択肢も魅力的に思えてならなかったが、わざわざ僕のために時間を作ってくれている会社にあまりにも失礼である。僕は肩を落として、足を丸めて、玄関を出た。

 何故革靴が無かったかというと、それをバイト先で使っていたからだ。つまり昨夜のうちにロッカーから革靴を持って帰る必要があったのだけれど、それをすっかり忘れてしまっていた。スーツやワイシャツをあらかじめ用意するのは頭にあっても、靴まで考えられなかったような間抜けだった。こんな奴だから正社員をすぐさま辞めてフリーターになったんだろうね……。

 

傷口には、絆創膏を。

 

 小さい靴でトコトコとホームを歩きながら、僕の足が徐々に使い物にならなくなっていく実感があった。電車を乗り継ぎ、面接先の企業に着いたときには小指やかかとの皮膚がひりひり痛んだ。寒い日だったので体もカチコチに冷えた。冬にスーツを着るのが初めてだった僕は、スプリングコートしか羽織るものが無かった。風がやけに突き刺さる。

 ○○機器営業を主軸とする企業であったので、本社前で従業員が営業車に積み込みを行っている。スーツを着ている人は誰もいなくて、僕のスーツ姿がやけに目立った。スプリングコートを手に持って「〇時から面接させていただく△△ですが」と遠慮がちに声をかけると、頭にはてなマークを浮かべた従業員が建物に入っていく。しばらく誰かと話しているのをガラスの引き戸越しにしばらく見ていた。

 初めて降りた駅で、初めて目にする人たちの姿を見て、なぜかため息が出た。そういえば大学の時の就活もこんな気持ちになったっけな。僕はとても保守的な人間で、新しい環境というものにストレスを感じやすい。一度慣れてしまえばそれが心地よくなって逆に抜け出せなくなるが、そうなるまでには数多の問題に対峙しなければならない。こんな僕を「甘ちゃん」だと馬鹿にする人もいるだろうけど、自分自身でそれは理解しているつもりである。何か反抗したり言い訳する隙なんてものはそこにない。なんてったって僕は営業職から逃げた人間なんだから。

 

 面接はほとんど何もうまくいかずに終わった。原因なんてものはこの際どうでもよくて、僕の経歴について失笑(笑いも出ないくらい呆れる)されながら時間は経過した。最後の方は何故か説教が始まって、それを苦笑いしながら聞いていた。出されたお茶は最後まで手を付けなかった。

 外に出ると陽光が気持ち良くてたまらなかった。ただ足はひりひりと痛み、今すぐ革靴を捨てて靴下で帰りたかったが、ABCマートに寄り道をして履き替えることにした。ペンギンの赤ちゃんよりもトロトロと歩きながら、おそらくもう二度と見ることのない景色を目に焼き付ける。結果から言うとこの企業からは秒速でNOを突きつけられて、その通知の速さに思わず失笑(噴き出して笑う)してしまうほどだった。

 横断歩道で信号待ちをしているときに、車が侵入できないように突き刺さっているポールに腰かけて革靴を脱いだ。柔い皮膚はいとも簡単に破られ血がにじんでいる。このままABCマートまで歩けるかどうか悩んだくらいだった。面接で心をえぐられてもいたし、歩き出す気力もなかった。

 

「あの」

 

 こちらに向かって女性が話しかけてくる。最初僕に言っているものだと思わなくて下を向いていたが、おずおずと顔を上げると目が合ったのでどうやら僕で合っていたようだった。「私も靴擦れになってしんどい思いをしたことがあって、いつも絆創膏を持つようにしているんです。よかったらこれどうぞ」と大きめの絆創膏を数枚渡してきた。突然のことだったので、感謝の言葉を自分がしっかりと口にできていたか思い出せないが、慌てながら頭をペコペコ下げたのは確かだ。女性はそのまま立ち去って、その小さくなる背中をぼんやり見ていた。

 なぜか泣きそうになった。傷口に絆創膏を張りながら、なんで自分の両目が潤んでいるのか分からなかった。別に靴擦れが泣くほど痛かったわけではない。確かなことは僕はフリーターになって、何かが大きく歪んでしまったということである。ユリゲラーが僕の心を見て絶句したから間違いないと思う。ふいに前の前に現れた「優しさ」に戸惑い、はっとさせられた。

 その絆創膏のゴミは今でも捨てられないでいる。中身のない紙きれだけれど、それを見るとこの出来事が思い返されて手許に置いておきたくなった。もちろんだけどその女性の名前も年齢も知らないし、今となっては顔も思い出せない。ただ概念的にその優しさだけが記憶に定着している。

 

「僕」は君から見れば「君」

 

 電車やバスなどの公共の場所でいろんな人と同じ空間を共有することはあるけれど、彼ら彼女らがどんな人生を送ってきて、どんな気持ちでいるのかを知ることはできない。もちろん知ろうと思うことの方が少ないけれど、事実としてみんながそれぞれ異なった人生を送っている。コペル君みたいに聡くない僕でも理解できる話だ。別にそれぞれの価値を推し量って、A君よりもB君の方がより「良い」なんてことを判断する必要はどこにもない。A君やB君が「いる」と意識することに意味がある。

 都会に行くと、道路もご飯屋さんも映画館も人でひしめいている。日本人は1億2千万人いるらしいが、本当にそんだけいるのか不思議に思ったことはないだろうか。単純計算で、今までの人生で話したことのある人の数を多く見積もって千人だとすると、その12万倍の人間が日本中にひしめいているわけである。その存在の多さの前に一人ひとりの存在感が薄まりそうだが、彼らも自分と同じように喜んだり悲しんだりする人間である。

 だからといって自分の存在の矮小さを嘆く必要はない。比較検討というものは必要なくて、時々周りを見渡して、この事実をただ単に「確認」することに意味があると考えている。上腕二頭筋を鍛える目的でダンベルを持ち上げる、みたいな直接的なプロセスは別にここにはない。「なるほどなぁ」としばらく眺めてから日常生活に戻ることで、無意識下で何かが少しずつ変わっていく気がする。