「将来の夢」が無くて困ったよ~って話

学生→???

 僕には目指すべき道がなかった。大学に進学しても、「ああ、これを僕の生業にしたいな」なんて思えることはなかった。それは目にするすべての職業を馬鹿にしていた訳ではない。警察官も飲食店の店長も営業職も、等しく同じように見えてしまっただけだ。僕は「社会」というタイトルの映画が映し出されたスクリーンを観ているにすぎなかった。

 

 何故か?

 

 それは僕が十数年間過ごしてきた学校の「範囲外」の事象に思えてしまったからだ。バイトはしていたが、重心は常に「学生」という地位にあった。映画館のふかふかの椅子に座ってポップコーンを食べながら、映画はいつまでも続いていくかのように思っていた。

 当時、数少ない友達から聞く「俺は将来……」みたいな話や、大学3年生3月から始まった合同説明会でも真剣になれなかった。大学のキャリアセンターの話も、頭のてっぺんからつま先まで客体で受け止めていた。それは紛れもなく僕自身の将来の話なんだけれど、「労働に対する憧れ」なんてこれっぽちも湧いてこなかった。

 先輩からはよく「自己分析を最初にしっかりやれよ」と言われていたけれど、それが非常に難航した。四季報を買って一つずつ会社を見ても何も分からない。「そりゃ文字で読んでもわかんねーよな」なんて考えてインターンにも行ったりしたが、やはりどこか他人事のように、全てが上空を通過していく。

 

 だけど、この感情は「働きたくない」という決意には行きつかなかった。つまり、働きはするけれど、どこで働くかを決めることができない、ということだった。

 

 1つ下の彼女から「就活はどんな感じ?」と聞かれるのが苦痛で仕方がなかった。顔に笑顔を張り付けて「今週面接あったけど、イマイチだったかな」なんて答えると、彼女が優しさのこもった言葉で励ましてくれる。そして、それが何よりも僕の心臓を締め付けた。面接終わりにリクルートスーツに身を包んだ僕は、私服姿の彼女を直視することが出来ず、一心にご飯を食べたこともあった。

 単位は3年生終了時でゼミ以外はほとんど卒業条件を満たしていたため、四六時中就活のことを考えていた。迷走している自分自身を騙して最初の方に十数社受けてみたけれど上手くいかず、完全にノックアウトしてしまった。しばらく就活をサボり無為な時間を過ごしたりもしたが、遠くにワン、ツー、スリー、とレフェリーのカウントする声が聞こえてくる気がしてならなかった。

 

 夏が近づく。

 

 母は何も言ってこないが、その沈黙には最近袖を通さないリクルートスーツの疑問を含んでいた。僕の精神はぐちゃぐちゃになって、周りのものすべてが就職活動という4文字を忘れさせる力を持たなかった。週1でゼミの連中と会っても、ゲームをしていても、湯船につかっているときも、いつも一つ下のレイヤーには、「そいつ」がいた。

 

 腹をくくる必要があった。それは僕の意思ではない。

 

 スマホで直近の合同説明会を調べて、そこの企業に手当たり次第に面接に行き、最初に内定をもらったところで働くことを決意した。そこには僕の思惑や希望なんてものはない。それはどこからともなく降ってきた「クリア条件」のように僕を縛り付ける。だが、それは僕の精神を安定させるのに十分だった

 「夢を叶える」のではなく、「内定をもらう」という目標に代えた途端、物事はとてもスムーズに進んでいった。僕は心にもないことをペラペラと話せてしまったのだ。別に何の興味も湧かない業界の、名前も知らない企業だったけれど、合同説明会にブースを出していた企業の一つから内定をもらい、就職活動は終わりを迎えた。

 

 ああ、自分のやりたいことってなくてもいいんだって、そのときは、そう確信した。

 

学生→社会人

 春、入社式があった。年季の入った本社ビルで新入社員十数名が集い、みんなが緊張した面持ちでガタガタするパイプ椅子に座っている。社長、会長、何某の部長数名が前に座っている。

 

 僕は片方だけで笑っていた。別にここに集まっている人たちに対してではない。そうか、僕は本当に社会人になったんだ、とそのときになってようやく気付いたからだ。ポップコーンを食べる手を止めてスクリーンから目を外し横を見ると、そこには僕に向けられたカメラがあった。

 それは家を出るときからうすうす気づいていたことでもあった。玄関まで見送りに来た母が、感慨深そうに「いってらっしゃい」と声をかけてきた瞬間、その事実は提示されていたが、気づかないふりをしていたのだ。

 

 その気持ち自体は嫌いにはなれなかった。もちろん「よし、これから頑張るぞ」なんて高尚な向上心からくるものではない。窓に流れる景色をなんと気なく眺めているのに似ているんだと、国道2号線を営業車で走っているときに気づいた。確かにモノは確実に目の前にある。それをわざわざ車を降りて「こうなっているんだな」と確かめる気は起こらないが、むしろその距離感が心地よかった。

 

 だが、営業職としての生活は僕の精神を確実に壊していった。上司から今日はテレアポ〇〇件が目標だと言われ、使い古されたボロボロの電話帳を渡される。内心、個人情報の取扱いが厳格になった時代じゃないの?と思わずにはいられなかったが、深く考えずに疑問を肩から振り払って、上から順番に電話をかけていく。与えられた明確な目標があって、それをこなしていくことだけに集中しようと心がけた。

 

 そして、その目標の強制力の前に心が壊れていく。

 

 「なぜこの番号を知っているんだ」「このご時世に」「==この通話は振り込め詐欺防止のために……==」「結構です」「二度と掛けないでください」

 ある日の夕方、一つ上の先輩の前で弱音を吐いた。もうだめかもしれないという僕の言葉は、先輩の心強い励ましで返され、一時の安らぎをもたらしてくれた。だが、帰りの鈍行で窓ガラスに反射する自分を見ながら「1年後、僕はどうなっているんだろう」と考えるたび、巨大な感情が湧き上がってきた。

 

 こんな仕事は僕のやるべき仕事じゃない!!!

 

 なんと傲慢な考えだろうか。大学生の頃には思いもしなかったことが心の底から湧き上がってきてびっくりした。目の前の出来事を「車窓」として客観的に見れていない自分に気づいた。

 もちろん世のすべての営業職を否定するわけではない。そして営業職だけが群を抜いて嫌な仕事でないことも理解しているつもりでいる。そもそも会社によっても業界によっても、はたまた地域によっても違う。そもそも「営業職」なんて括りはあまりにも大雑把だろう。ヒョウもライオンもイエネコも「ネコ科」であるように、例えばBtoB、BtoCという異なった性格を有する両者はともに「営業職」と呼称されうる。だけどそのときは完全に錯乱していて、営業職を真っ向から否定する他なかった。

 椅子に座って目の前に突き出された丼を、僕は食べ続けることができなくなったのは事実だった。馬鹿な奴だ。どれを食べたいか自分で決められていないけど、お腹は空いているんだよなと言っておいて、やっぱり無理だと言い出すことの身勝手さを自分でもわかっていた。

 

 とりあえず、僕自身が壊れるまでやってみることにした。

 

社会人→???

 結局、半年しか持たなかった。受話器を握る手が震え、涙がこぼれたとき、「終わりが来たんだな」と悟った。僕は弱い人間であることを自覚した。開き直っているわけではなく、事実として明確に理解した。並の人生を歩むのには人より苦労する必要があることを知った。

 苦労の先の喜びが無かったわけではない。いくつかの成功体験も味わったが、それは僕を引き留めるのには十分な理由にはなり得なかった。先輩には「半年で辞めると経歴の見栄えが悪くなって、転職するときにそこがネックになる」と言われたりもした。その度「やっぱり続けようかな」なんて考え直したりもしたけれど、時すでに遅し、それはただの気休め程度にしかならなかった。

 職場で熱が出て体調が悪くなったりもした。上司からは「今日はもう帰っていいよ」と言われて、外をしばらく歩いていると熱は徐々に下がっていく。1時間もすれば体調は完全に回復したが、戻る気には全くなれなかった。

 辞めるにあたって色々と辛いこともあったが、ここが僕の居場所じゃなくなるんだと考えるたびに強くなれた。その一方で自分の身勝手さも分かっていた。採用を担当していた人事部長は最後まで好きだったし、今でも本当にいい人だったなと思えてもいる。その人に対する申し訳なさや、辞めると言い出した僕を両親が心の内でどう思っているのかを想像することの情けなさは常にあった。

 

 最後の出勤から間をあけることなく、大学の頃バイトしていたお店で非正規で働き始めた。いわゆるフリーターというやつだ。辞めてからも何人かとはしばらく連絡も取っていたので、辞めたいと思っていることを伝えてみたら店長にご飯に誘っていただいた。そして意を決して「次の就職先が見つかるまで働かせてもらうことはできないでしょうか」と相談した。店長は僕を歓迎してくれて、今後の行く末も応援してくれた。

 懐かしい場所で、懐かしい人たちと働くことで、僕の心は徐々に回復していった。「出戻り」を悪く言う人は一人もいなくて、大学の頃、真面目に働いていたこともあってか、むしろ歓迎してくれた。本当のところはどうか知らないけれど、少なくとも僕はそう感じて、安心できる場所にとりあえず身を置くことが出来たんだとほっとした。

 

●「将来の夢」が無くて困ったよ~って話

 もし戻れるなら……。

 

 大学3年生の春、もしくはそれ以前に「将来の夢」というものを見つけることが出来ていれば、あるいは興味の湧く業界があるとすれば、僕の人生は今とは違ったものになっていただろう。もちろんその夢の先に失望や絶望が待ち受けている可能性もあるだろうけれど、良い方向に進む可能性というものは多かれ少なかれあった。

 

 大学の頃、ダーツにハマっていた時期があった。それが彼女に伝播してかなり通ったことが懐かしい。機種によるけれど、真ん中の「ブル」に矢が刺さるとめちゃくちゃ気持ちいい効果音が鳴る。ただ、真ん中に刺さって高得点を得ようと試みても、1、5に刺さったりなんてことの方が多かった。下手の横好きである。

 きっと僕の就活は、目をつぶって投げてしまったレベルなんだろう。よくよく目を凝らすことをせず、しかもまっすぐ前を向かず適当に。狙っていたところに当たらなくて、悔しい思いをすることすら経験しなかった。そして、どこに当たれば高得点なのかも知らずに投げていたんだから笑い物である。

 

 何となくよく知らない会社に入っても、充実した生活を送れる人もきっといる。それを否定することは僕にはできない。

 仕事なんてただの日銭を稼ぐための「手段」でしかなくて、余暇にこそ人生の興味関心を注ぎ込むべきだという人もいて当然だと思う。

 夢を叶えて充実した人生を仕事とプライベートの両方から得ている人には、僕は椅子から立ち上がって耳が痛くなるくらいの大きな拍手を送りたい。

 

 そして、僕と同じような気持ちで社会に出て、僕と同じような気持ちで社会から転げ落ちて、自分が座りたい椅子を改めて見つけようとしている人がいたら、その肩に手を置いて静かに涙を流したい。

 

 ただ、夢を叶えることが出来なかった人に対しては、今のところ僕は固く口を閉ざしたい。このことは後になって何かしらのことを書くつもりではいるが、今は時期ではないし、その資格を有していない。これは僕の将来の「IF」でもあるから……。

 

(つづく?)